フォックス命名傳 

団友 片倉 武

  シャウティング・フォックスの生いたちとその名前について記さなければならない。

 大分ふるい話になるが寺内君と私がはじめて会ったのが、11年前のちょうど今ごろ。野山に草花が咲きみだれ木々の間を薫風が吹きぬける、爽やかな季節だったと記憶している。

 当時、我孫子の湖北台に“音楽茶屋「道」”という喫茶店があり、近くの音楽好きが出入りしていて結構繁昌していたものだが、そこのマスターの引き合せであった。その時、たまたま寺内君がテノール、私がバスと分れていなかったら今のフォックスは無かったかも知れない。このマスター・森下氏はもともとコントラバス奏者で、翌年、現指揮者の野村氏を紹介してくれたこともあり、フォックス胎動期の功労者と言っても過言ではないと思う。

  さて、野村氏を迎えて、いよいよ本腰を入れてやろうと思ったが、そこは素人集団。一年や二年で上手になるわけは無く、どうせやるなら30年計画でやろうと言うことになった。野村氏をふくめ、みんな余程ウマが合ったのか、他人から見れば気の遠くなるような話だろうが、この考え方は今も変らない。

  その頃、湖北台にはもう一つアンサンブル・レオーネと言う先輩格の男声合唱団があり(今でも活躍しているが)、ここは当方と違って全員某大学グリークラブなど、経験者が揃っていて、 両者の差違は大人と子供、いや乳児くらいあったであろう。 

 しかし、そこは負けず嫌いのフオックスの面々、先輩に追いつけを旗印に、質じゃ勝てないからとりあえず量で勝負とばかり、猛烈なスカウト作戦を展開する。東に歌好きが居ると聞けば、カラオケスナックを襲撃し、西に飲んベェがいれば車に拉致して引っぱりこむこむ始末。

 この荒ワザが功を奏してか、団員はすぐレオーネの倍の20名くらいになった。しかしまだまだ玉石混渚(殆んど石)であった。30年計画というのは、きっとこのくらいの期間があればレオーネに追いつけると思われる年限だったのかも知れない。

 シャウティング・フォックス(叫ぶキツネ)という名も、アンサンブル・レオーネ(ライオンのアンサンブル)を多分に意識しているが、ただそれだけではない。小生が昔から好きだった「スプリングフィールドのキツネ」(シートンの動物記)に因み、我孫子にもかつてキツネが棲んでいたことを想い起して命名したものである。

 これからもレオーネとフォックスは様々な面で対比されながら、それぞれ成長していくであろう。こうした中で本日のキツネの舞台に、ライオンが2頭唸り声を挙げていることも記しておきたい。 

(第1回定期演奏会プログラムから)

 

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